父と娘の関係は複雑である。時には大の仲良しで、時には距離を置いてみたり。元オーボエ奏者で音楽家の宮本文昭さん(60)と、次女でバイオリニストの笑里さん(26)は、ある日を境に、普通の父娘から、同じ音楽の道を歩む先達と後進になった。忙しい日々を送り、ゆっくり語らい合うこともままならない2人が、互いに寄せる思いを語った。【小松やしほ】
◇もう一度同じステージで
父はドイツのオーケストラに所属していたので、ドイツと日本を行ったり来たりで、家にいないことが多かったですね。小さいころは友達に「笑里ちゃんのお父さんは、何でいつもいないの」と言われたりして、寂しいなあと思ったこともあります。
逆に、演奏会やコンサートで、オーケストラをバックにライトを浴びて、ど真ん中で演奏している父を見た時には、他の家庭では絶対に味わえないだろうなと「お父さんって本当にすごい」と思っていました。
中学生になって、私がバイオリンを本気でやりますと決意した瞬間からは、親子から師匠と弟子という関係になりました。
父は絶対自分と同じ職業、音楽家にはなってほしくはなかったみたいですね。自分がものすごく厳しくてシビアなクラシックの世界を味わってきたので、子どもには音楽と関係ない職業を選んでほしいと思っていたのだと思います。反対する気持ちは、もしかしたら今でも変わっていないのかなあということは、ときどき感じます。
デビューが決まった時は、まさかバイオリンでお仕事ができるなんて、宮本家では誰も想像してなかったので、本当に喜んでくれました。人前で演奏できるというのは、楽器をずっと学んできた人たちにとって一番の喜びだし、好きなことを職業にできるのは、本当に幸せなことだから、一つ一つのコンサートを大切に演奏して、常に前向きに頑張ってほしいということを言われました。
普段の父は優しく面白い人です。話し出したら止まらなくなって、2、3時間同じことを繰り返すのは、ちょっと嫌ですけど。
でも音楽のことになると、全く表情が変わる。オーボエを演奏していた時、ステージでは自分自身を表現して、キラキラ輝いていました。本当に音楽が好きで、大切にしているんだなあと思います。今はオーボエを吹いている姿を見られなくなって残念ですが、指揮者として活動したり、その他の道のどれ一つをとっても本気で向かい合って音楽をやっている父を見ると、自分も刺激を受けますし、やはり特別というか、あこがれの存在だなあと思います。
私がソロデビューする直前に、父はオーボエをやめたので、一緒に演奏したのは、ファイナルコンサートの1回だけです。まだまだのところもありますが、そのころに比べれば、私も少し違っていると思うので、またステージに一緒に立てたらいいなあと思っています。それが夢かもしれません。
◇「何があっても、おまえの一番の味方だよ」というのが理想。でも全然違う
◆初めて父親になったのは笑里さんのお姉さんが生まれた時ですね。
−−自信がなかったですね。自分がその瞬間まで子どものつもりでいたから。笑里の姉がドイツの小学校に上がった時、先生に「僕は親として初心者なので、娘をどう育てていいか、全く自信がない」と言ったぐらい。そうしたら「それでいいんです」と褒められた。それでちょっとだけ安心した覚えがあります。
◆育児に協力しましたか。
−−妻と交代でミルクをやったり、おむつを替えたり。風呂にも入れ、哺乳(ほにゅう)瓶を消毒するとか、一応やりました。自分が子どものころ、親に「おむつのころから知ってるんだから、生意気言うな」と言われ、腹が立ったことがありますが、今は娘に対して僕がそう思ってます。「おまえらのおむつを替えたのはオレなんだから、グチャグチャ言うんじゃない」って。
◆どんなお父さんでした?
−−普通だと思いますよ。でも、男の子を育てるように、娘2人を育てたかもしれない。幼稚園ぐらいから「おまえもいずれ世の中を渡っていかなければいけない。その時に、私はこれなら1人でやっていけるという一本を背中に差せるようになれ」なんて言ってましたから。
◆笑里さんは、お父さんに内緒でバイオリンを習い始めたそうですね。
−−僕は、自分が親に無理やりやらされて嫌だったので、絶対に強要はするまいと思っていました。一方で、やるからには3歳ぐらいから、楽器を触らせて本物の音を体に染み込ませるぐらいやらないと、とも思っていたので、その時期が過ぎた段階で「やらないなら、それでいいや」と思っていたんです。
笑里はよく2代目だと言われますが、実は3代目。僕は父がテノール歌手だったので2代目、親の七光りです。それで散々苦労したから、同じ苦労をさせるのはかわいそうだという思いもありました。
◆それなのに……。
−−ある日、ドイツから帰ってきたら家の中から音がする。「何?」とかみさんに聞いたら「笑里にバイオリンをやらせてるのよ。あなたがオーボエ、笑里がバイオリンで、週末に音楽会なんて楽しそうじゃない」って。週末に音楽会を開く音楽家の家なんてどこにもないですよ。趣味じゃないんですから。でも、どうせ真剣にやるわけでもないしと放っておいたんです。
◆ところが真剣にやると言い出したんですね。
−−大誤算です。おまえが楽器をやっていれば絶対「親が……」というのはついて回る。親がやってるにしては下手と言われるか、うまく弾いても親がやってるんだから普通だと言われるか。よほど自分がしっかりしていないと、言われてクショクショとなるような境遇なんだとか。音楽の道は、考えているほど簡単ではない、身を削って、いろいろなことをあきらめ、捨て去らないと得られないものがたくさんある。普通の女の子らしいことは一切できなくなるとか。散々言って聞かせ、かなり脅かしもしました。それでもやるなら、今この時点から、親と子ではなくなるので覚悟するようにと言いました。
◆でも笑里さんは、父娘から師匠と弟子になる決断をした。
−−これでこの子との楽しい思い出も終わりだなあと思いました。でも、世の中を自分で船で渡っていく、その櫓(ろ)がこの子にはバイオリンなんだ。よく決断したと褒めこそすれ、もう少しのんきにしたら、なんて言ってはいけないなあと。
◆厳しいレッスンをしたのですか。
−−ウチは体育会系ですから、できるまで「はいダメ。もう一回。何それ、恥ずかしいと思わないの」という感じ。ただ、教えるのは「聞いてください」と言われた時だけ。それも、時々、先生の補助で。僕が率先して笑里をバイオリニストにするために教育したことはない。無論、あまりにもひどい時は「それはないだろう」と言うこともありますが。最近は言うのをやめるようにしました。外では完全にプロですから、僕まであれこれ言うと、逃げ場がなくなってしまう。なるべく「いいんじゃない」と言うようにはしています。
◆理想の父親像は。
−−何も言わず、いつもニコニコ。娘が何をしても、おお上手だねえと褒めてやり、おまえの一番の味方はお父さんだよと言ってあげるのが理想。そうありたかったのに、全然違う。ちょっと悲しい。
◆全国のお父さんに一言。
−−僕ができない分、一生懸命お父さんをやってください。僕の場合、父親としてあきらめなければいけないことが多い仕事を、娘が選びましたからね。背中を押したにもかかわらず、残念に思ってます。もっと楽しい日々があったはずなのに、それがなーい(笑い)。だから、世のお父さんはもっと楽しみを味わってね、という感じです。
◇みやもと・えみり
1983年東京都生まれ。幼少時をドイツで過ごす。14歳でドイツ学生音楽コンクールデュッセルドルフ第1位。フジテレビ系ドラマ「のだめカンタービレ」オーケストラメンバーなどを経て、07年5月にソロデビュー。09年10月に3枚目のアルバム「dream」、11月に米の歌手ジェイドとのユニットでアルバム「Saint Vox」を発売。
◇みやもと・ふみあき
1949年東京都生まれ。18歳で単身ドイツに渡り、フランクフルト放送交響楽団、ケルン放送交響楽団、サイトウ・キネン・オーケストラなどの首席オーボエ奏者を歴任。小澤征爾音楽塾メンバーなどとしても活躍。07年3月、40年に及ぶオーボエ奏者としての活動に終止符を打った。現在、東京音楽大教授のほか、指揮者としても活動中。同年12月には「オーケストラMAP’S」を設立した。
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posted by 菅原 秀春 at 09:55|
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